第78話    「釣れたと釣ったの違い」   平成17年10月02日  

「魚が釣れた?」とは偶然食い気のある魚の目の前に餌を落とし込んでやったので、思わず魚がパクリと食ってしまったの類(たぐい)である。釣り人の意志に関わらず、結果的に魚が釣れてしまったと云う事でもある。世に云うビギナーズラックなどもこの類であろう。また釣れてしまったと同じような釣り方の魚釣りが幾つかある。それは大抵向こう合わせで釣れてくれる魚、例えば少し深い海の根魚釣り等である。当たりを取る必要などは要らず、魚が勝手に鈎に食い付くのを待って、幾匹か釣れたら竿が曲がる。そこでやおらリールを巻けば、それで釣れて来るのだから技術も何も無い。さしずめ船長の腕次第で釣果が決まると云うところか?それでもそれを専門に釣っている人もいる位だから、別にケチをつける積りなどは毛頭ない。上手な人と初心者では差が付くこともあるので、やればやったで結構奥が深い釣りなのであろう。ただし、比較的釣の知らぬ者でも釣れる釣ではあるようだ。釣は本人が楽しんで釣れればそれで良いと考えているが、釣りの面白さには欠ける嫌いがある。

次に「釣った!」であるが、色々な条件をクリアして技術を持たねば釣れない魚がいる事も確かだ。そんな魚はこちらから積極的に狙わないと釣れて来ない事が多い。そんな釣りで自分が意図した本命を釣った時に初めて「釣った!」と云う事が云えるのでなかろうか。外道は釣れても、狙った本命を釣る釣ほど難しい釣は無いと云えるのである。例えばヘラブナ、クロダイ、メジナ釣や深山渓谷のイワナ、ヤマメの釣などがその範疇に入る。それに幻の巨大魚モロコ、石鯛釣などのその類であろう。繊細な釣から、豪快な釣まで色々な難しい魚釣りがある。隣の人が釣れたからと云って、自分も必ず釣れる魚釣りではない。多少の運不運もあるだろうが、潮の流れ、天候、水の濁り、腕や仕掛けの工夫など色々な条件が揃わねば中々釣れない魚釣りでもある。中々釣れぬ釣ほど、釣れた時の満足感は人一倍であるのも釣りの面白さのひとつである。

釣り人は大抵釣れるものなら何でも良い釣りから、多少腕が上達するに従ってそれでは飽きたらずに的を絞り自分の意図した魚を釣るようになるものである。特に上昇志向の強い人ほどに上達が早い。天性の釣り人は少ない。多かれ少なかれ自分自身の鍛錬で釣りは上手になる。同じ「釣った!」でも、合わせ方に上手下手がある。鈎が魚の上顎にかかった物が最高で次に横、下の順なのだそうだ。確実に魚に食わせて釣る釣りもあるが、さしずめ自分の釣はどちらかと云うと遅合わせであるから魚が鈎を飲み込んでいることが多い。だから釣り方は上手には入らないらしい。だから本命を釣ったにしても、残念ながら釣ったうちの最下位なのである。自分の釣りの腕前は、決して上手だと思ってはいない。ただ竿が軟らか過ぎる為に、どうしても遅合わせになってしまう嫌いがある。ハエ竿の長尺物を使っているから、クロダイ竿で云えば00号以下の竿と云う事になる。そんな軟らかい竿で引き味を楽しんで釣る釣が、自分にとって一番合う釣り方である。狙った本命が、釣れればどんな形であれ楽しくそして充実感がある。

クロダイの引きを楽しむ釣では、小型(7〜8寸から尺クラス)の比較的小型のクロダイが最高である。次に二歳、三歳メジナが来る。次に三歳、二歳タカバの順である。春先は8寸から尺のタナゴが面白しろいのだが、クロダイと比較するとどうしても引きが弱いのが、欠点だ。小型のクロダイの引きは最後まで釣られまいとして、抵抗するのが魅力である。沖側に直進したかと思うと手前に来たり、更に右に左にヒラを打つから軟らかい竿でかけると手応えが違う。大型の黒鯛をかける為の予行演習見たいな物だ。同じクロダイでも季節で云えば晩秋のクロダイが最高である。それは春先のクロダイと比較して、同じ大きさでも手応えがまったく別の引き味が楽しめるからだ。

本命をかけて、暴れる魚をいなしやっとの思いで玉網に入れた時の、ほっとした時の瞬間は何物にも変えられぬ充足感で一杯となる。この思いは釣り人でなくては味わえぬ、つかの間の出来事であろう。偶々の一枚が釣れると「本当に釣をやっていて、良かった。又来よう!」と云う気になる。だから釣り人は釣りが止められぬ。「釣れた?(釣れてしまった?)」と云う釣から、「釣った!(狙って釣った)」の違いが分かる釣を、一日でも早く出来るような釣り人になりたいと常々思い釣道に精進に精進を重ねている。